【作品探求】小鈴谷音頭

■元祖版
・プロデュース 14代盛田久左エ門
・作詞作曲 岩槻三江
・唄 徳太郎(半田中町の芸者さん)
・合いの手 小鈴谷のお百姓の娘さんたち
・伴奏 アサヒ和洋楽團 アサヒコーラス團
・発行元 アサヒレコード
・レコード化の功労者 盛田敬三

■再録版
・唄 春日井香(地元大谷在住)
・糸 藤本秀内栄一門

知多の小鈴谷ナ 知多の小鈴谷 笑顔が招く
浜の宿から チョイト 湯が招く
ヤッコラ 湯が招く
サアサ ヤッコラサト 湯が招く

玉の盃ナ 玉の盃 情の君に
引いて欲しやの チョイト 子の日松
ヤッコラ 子の日松
サアサ ヤッコラサト 子の日松

[省略]

\小鈴谷音頭の全ての歌詞はこちら/

きっかけは過去に書いた岩槻三江さんの記事をご覧いただいた方からのご連絡でした。
岩槻さんが小鈴谷音頭という曲を作詞作曲している。1枚の歌詞カードが添付されたメールに私は心躍りました。

さらに小鈴谷音頭は保存活動が行われていて盆踊り大会も開催予定とあってはご当地新民謡好きの私としてはいてもたってもいられません。

小鈴谷音頭を知るべく、ご連絡をくださった山崎さんを頼って小鈴谷へ向かいました。

2つの小鈴谷音頭

小鈴谷音頭は2つの音源が残っています。
1935(昭和10)年に小鈴谷村合併30周年を記念して制作されたと思われる元祖版と1977(昭和52)年に元祖版を基に制作された再録版です。

元祖版小鈴谷音頭の歴史

レコード化の手配をしたのはプロデューサーである14代盛田久左エ門さんの弟 盛田敬三さんでした。

レコードは10枚制作され、旧小鈴谷公会堂で使用されていましたが破損してしまいます。

2011(平成23)年 鈴渓資料館で原盤2枚が発見されました。1枚は破損していましたが、もう1枚は無事だったためデジタル復元をすることができました。

小六月追記メモ~「こすがい」「こすがや」~

「小鈴谷」のことを元祖版では「こすがい」、再録版では「こすがや」と発音しています。

江戸時代の古文書には「小鈴ヶ谷村」とあるため、「こすがや」が正しい発音で「こすがい」は訛った発音と考えられています。

小鈴谷音頭の制作者たち

ここからは小鈴谷音頭の制作に関わった3名の方たちを紹介します。

・プロデューサー 14代盛田久左エ門(以下幼名を借りて彦太郎)さん
・レコード化の功労者 盛田敬三さん
・作詞作曲 岩槻三江さん

盛田本家

まず制作者3名のうち2名が所属する盛田本家について少しだけ記述します。

■盛田本家
・代々久左エ門を名乗り、小鈴谷村の庄屋を務める
・1665(寛文5)年 酒の醸造を始める(現 盛田株式会社)
・1863(文久3)年 坂井の陸井太衛門と共同で船を購入→江戸航路を拓く
・親類である半田の中埜又左衛門(現 ミツカン)や中埜半六らと多角経営を推し進める

盛田本家の名当主

盛田本家の当主は小鈴谷のリーダーのような存在でした。そんな盛田本家の特筆すべき名当主を少しだけご紹介します。

■盛田命祺(11代当主/11代久左エ門)
・救済事業、神社改築、道路や海岸の整備、私塾「鈴渓義塾」の創立
 →小鈴谷のために尽力、藍綬褒章受章

■盛田昭夫(15代当主)
・井深大らと共に東京通信工業株式会社(現 SONY)設立。社長、会長を務め、ウォークマン等数々のヒット商品を手掛ける。
・様々な要職につき日本を代表する国際人として活躍する

プロデューサー 14代盛田久左エ門(彦太郎)

小鈴谷音頭のプロデューサー である彦太郎さんは愛知県農林學校(現 安城農林高校)を卒業し、慶應義塾大学で経済を学んで家業を立て直すつもりでしたが、大学2年目で祖父である12代目が死去したため大学を中退して家業を継ぎました。

12代目の骨董をオークション方式で売却したり、問屋を通さず自分たちの手で直接小売店に売る方式を確立したりし、家業の再興に成功しました。

また長男 昭夫さんの挑戦を理解し、黎明期の東京通信工業株式会社(現 SONY)を資金面で支援しました。

小六月追記メモ~彦太郎さんの教育方針~

昭夫さんの自著『MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略』と鈴渓資料館館長 新宅さまのお話しから垣間見えた彦太郎さんの教育方針がとても印象深かったので記述します。

昭夫さんが10歳になると彦太郎さんは会社の重役会議に参加させ、「長とはなにか」を身をもって体験させる英才教育を施しました。

また昭夫さんの母 収さんは音楽好きだったため、家庭ではクラッシックのレコードが流れていましたが、古い蓄音機で再生していたため摩擦によるノイズが大きく聞こえていました。

「音楽が好きならいい音を聴かなければいけない。」と考えた彦太郎さんは当時高価だったアメリカ製の蓄音機を購入します。

素晴らしい音がする蓄音機に興味を持った昭夫さんは興味を持ちました。そんな昭夫さんを見て彦太郎さんは中を開けて見てみることを推奨します。
昭夫さんは元に戻せず壊してしまうことを危惧して遠慮しました。しかし彦太郎さんは「壊してしまったらまた買えばいい。」と声をかけたのです。
それがきっかけとなり昭夫さんは理工系の道を歩み始めました。

彦太郎さんの体験を重視する教育がなければ現在のSONYはなかったかもしれません。

(彦太郎さんは)「お前が社長だからといって、まわりのものに対して威張れると思ったら大間違いだ。自分がやると決めたこと、他人にやらせようと思うことを明確にし、それに対して全責任を負わなければいけない」若い時から折にふれてこうした忠告を与えられたことは、非常に有意義だったと思う。なにか問題が生じたとき、部下を叱ったり、責任を他人に転嫁するのは無益なことであるとも教えられた。[中略]

私は経営者にとって大切なのは忍耐と理解力であることを知った。決して自分勝手な手段を用いたり、卑怯なことをしてはいけない。こうした考え方はずっと私の中にあって、経営哲学の基礎になっており、過去においてもずい分役に立ったし、いまだに自分のためになっていると思っている。

『MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略』 PHP研究所

レコード化の功労者 盛田敬三

彦太郎さんの依頼を受け、レコード化のために奔走したのが彦太郎さんの弟である盛田敬三さんでした。

敬三さんは約4年間パリで絵の修行をして帰国し、結婚するまで彦太郎さんの家族と同居していました。
敬三さんの海外での体験談は幼い昭夫さんに大きな影響を与えました。

叔父は家族のだれもがかなわないほど洗練されていた。[中略]

敬三叔父の話しは、彼が外国で直接見聞きしたことだったから、その面白さは格別だった。[中略]

私はまだ八歳だったが、よほど強烈な印象を受けたらしく、コンコルド広場、モンマルトル、コニーアイランドなど、そのとき聞いた外国の地名はたちどころに皆覚えてしまった。ことにコニーアイランドの話にはすっかり夢中になった。

後日談になるが、戦後はじめてニューヨークを訪れたとき、最初の日曜日に私がまっ先にかけつけたのは、コニーアイランドだった。ローラー・コースターからパラシュート降下まで、まるで子供のようにあれこれ試してみて、すばらしい一日を過ごした。

『MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略』 PHP研究所
左から収さん、菊子さん、14代久左エ門(彦太郎)さん、正明さん、ちよさん、昭夫さん、13代久左エ門さん、和昭さん、敬三さん、順さん

作詞作曲 岩槻三江

小鈴谷音頭の作詞作曲を担当した岩槻三江(本名 岩槻信治)さんは農業試験場にて育種家として活躍した人物です。その功績から「稲作の神様」と呼ばれていました。

一方プライベートでは三味線、笛、太鼓が趣味で多くの新民謡の作詞作曲を手がけました。

\岩槻三江さんの特集記事はこちら/

彦太郎さんと岩槻さん

彦太郎さんと岩槻さんは愛知県農林學校の1学年違いの同窓でした。彦太郎さんの方が1年先輩です。(しかし岩槻さんは入学時に年齢が1つ足りず卒業証書を書き換えて入学しているため、年齢差は2歳となります。)

二人の交流を示す手紙等は見つかっていませんが、坂井温泉湯本館『新民謡坂井音頭』もこのコンビが制作しているため仲の良い先輩後輩だったのではないかと思います。

一緒に踊ろう!小鈴谷音頭

小鈴谷音頭は小鈴谷区だけで細々と踊り続けられていた時期がありました。
しかし小鈴谷区だけでなく旧小鈴谷村(大谷・小鈴谷・広目・坂井・上野間)でも踊ってもらいたいという思いから稽古会が開催されるようになります。

現在では大谷と坂井の盆踊り大会にて休憩時間に小鈴谷音頭が踊られたり、小鈴谷区民盆踊り大会では大谷と坂井の方々も踊りに来ていただけるようになったとのことです。

そして冒頭でお伝えした通り現在(2026年)小鈴谷音頭は保存活動が行われています。

なんと本年の小鈴谷区民盆踊り大会は小鈴谷音頭を踊れます!
小鈴谷音頭の他にも「郡上節」「炭坑節」といった定番曲から、「常滑音頭」「セントレア音頭」等のご当地新民謡と素敵なラインナップが揃っています。

\是非お運びください/

■小鈴谷区民盆踊り大会
・とき 令和8年8月14日(金) 19:00
・ところ 鈴渓会館前広場(雨天の場合は鈴渓会館大ホール)

最後に

探求簿で掲載した岩槻三江さんの記事がきっかけで、山崎自動車代表取締役社長 山崎さまより小鈴谷音頭の存在を教えていただきました。

そして鈴渓資料館館長 新宅さまをご紹介いただき、盛田昭夫塾および鈴渓資料館をご案内いただきました。

古文書を解読し、地域史に精通する山崎さま。盛田昭夫さんの側近として貴重なお話をしてくださる新宅さま。
お二方のお話は貴重で、とても楽しいものでした。

先人から知識をいただくときは大切に守ってきた宝物をそっと手渡していただけるような緊張感と誇らしさを感じていますが、今回の取材もまさにその感覚でした。

そしてお二方の小鈴谷と盛田家を大切にする気持ちに賛同させていただく形で記事を書かせていただきました。
この記事が少しでも小鈴谷音頭普及のお役に立てれば幸いです。

左から新宅さま、太田、山崎さま

ご協力いただいた施設さま

盛田昭夫塾

盛田昭夫と良子夫人を中心に盛田本家とSONYの歴史を学べる施設です。

要予約となっております。
HPよりご予約ください。

盛田昭夫塾

鈴渓資料館

鈴渓資料館

盛田家が所有する2つの倉で保存されてきた資料を守る資料館です。

倉に保存されていた三味線や胡弓などの楽器を特別に拝見しました。
古い作りの三味線でとても興味深かったです!

見せていただきありがとうございました。

盛田 味の館

盛田株式会社が運営するレストラン、工場見学施設です。(工場見学は要予約)
常設展「十五代当主 盛田昭夫」では昭夫さんの人間性にスポットを当てた貴重な資料が観られます。

盛田 味の館

味噌蔵を改修してできた素敵なスペースで盛田の味を堪能できます。
味噌煮込みうどん、味噌田楽、たまりソフトをいただきましたが、どれも美味しかったです!
とくに味噌煮込みうどんはお味噌の風味がよく出ていて、小鈴谷の郷土の味がしました。

常設展は昭夫さん亡き後、東京・ニューヨーク・常滑・ハワイ・ロサンゼルスで開催された写真・映像展「人間・盛田昭夫展」が基になっております。
2007年に開催されたロサンゼルスでの展示が小鈴谷に帰ってきて、今の常設展となったそうです。
当時ロサンゼルスまで行かないと見られなかった展示を盛田株式会社の敷地で見られるのはとても素敵だと思います!

盛田 味の館 常設展「十五代当主 盛田昭夫」入口
盛田 味の館で味わえるメニュー

参考文献

・MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略(PHP研究所)

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