端唄の譜面集の中に「梅は咲いたか」という曲があるのを見つけました。
幼い時、小唄の先生に梅は咲いたかを教えてもらった記憶がある私は、「あれ?梅は咲いたかって小唄じゃないの?」と疑問に思い、端唄と小唄の違いについて調べ始めました。
ところが、その中でもう一つ気になる記述を見つけました。「小唄の姉妹芸、うた沢」という記述です。「うた沢って『哥沢』って書くんじゃないの?あれ、『歌沢』ていう書き方もある…漢字によって意味が違うのかな?」「なんで端唄とうた沢と小唄を比較した本が多いんだろう」
謎が謎を呼ぶ調査だったので、端唄、うた沢、小唄の違いを調べてまとめてみました。
うた沢、小唄の母体となった端唄 繊細で装飾的な節回し(=歌い方)のうた沢 早間(=テンポが速い)で小粋な小唄
結論からお伝えするとこの3つの三味線音楽にはこのような特徴がありました。
端唄誕生の歴史
3つの三味線音楽の違いを知るにはまずは端唄の歴史についてお話することがいいと思います。端唄は3つの三味線音楽のなかで最も古い歴史を持ちます。
端唄の原型は三味線なしで唄う曲だったとされています。1曲が短いため三味線を弾けない町人たちに親しまれていました。そういった曲が洗練され、三味線で伴奏付けするようになり、現在の端唄が誕生しました。
江戸時代初期には初めて文献に「端唄」という言葉が記載されました。
『吉原はやり小哥そうまくり』という新吉原の流行歌をまとめた冊子です。この中に「さかなはうたづくし」と題して14の短い唄が掲載されました。
この書物の正確な初版発行年は不明ですが、万治(=1658年)、延宝(=1681~1684年)説があります。
寛文(=1661~1673年)、寛政(=1789~1801年)に重版を重ねる人気ぶりを見せますが、残念ながら原本は残っていません。写真は文政2年(=1819年)に復刻したものです。左ページ2行目に「さかなはうたづくし」と表記があります。
また、新吉原が出来上がったとされている明暦3年(=1657年)~万治3年(=1660年)の記録によると、吉原では流行歌を歌の長さによって二つに分類していました。
長編の流行歌を「長歌」、短編の流行歌を「端歌」としていたため、上述の「さかなはうたづくし」は「酒の肴に唄われた短い流行歌集」と解釈することができます。端唄は江戸時代後期から幕末にかけて流行しました。
端唄の音楽的特徴
庶民感情を反映した素朴な歌詞、明確な拍節感、比較的明朗快活な節(=メロディー)で構成される端唄は受け入れられやすく、全国各地で親しまれるようになりました。
歌う際には自然な発声で中音域を使用し、細かい技法はあまりないとされています。また後述の小唄やうた沢と比較して中庸という評価が多く、シンプルで共感しやすいという点が多くの人の心を掴んだと考えられます。
歌沢の誕生
端唄が全盛期を迎えた1850年代ごろ、江戸には多くの端唄の師匠、弟子そして愛好家が出現しました。彼らはグループを作り「○○連」と名乗るようになります。
そんな時代に誕生した「歌沢連」は浄瑠璃の一種である一中節の歌い方を規範として端唄を洗練し、品格や重みをもった歌い方を理想としました。(江戸馬喰調郡代の梅の湯という風呂屋を拠点としていたため「梅の湯連」とも呼ばれていたそうです。)
安政4年(=1857年)、歌沢連の中心人物である旗本の隠居 笹丸(本名:笹本彦太郎)が遊芸の鑑礼を司る嵯峨御所より「大和大掾」という掾号(=町人や芸人に送られる名誉称号)が送られ、歌沢が確立されました。そして笹丸は歌沢笹丸となり、初代家元の地位に就きました。
哥沢の誕生
笹丸は畳屋の寅右衛門を二代目家元に指名し、寅右衛門は二世歌沢寅右衛門と名乗るようになります。しかし笹丸の死後、歌沢連の頃より笹丸の門下にいた御家人の息子柴田金吉が嵯峨御所より「土佐大夫」という掾号を受領して哥沢を確立します。
柴田金吉は初代哥沢芝金と名乗り、歌舞伎に出演して好評を得ます。
歌沢、哥沢、うた沢の違い
以降、歌沢寅右衛門を源流とする歌沢を寅派、哥沢芝金を源流とする哥沢を芝派、両派の相称や種目名を表す場合にはうた沢と表記することとなりました。
うた沢の音楽的特徴
端唄から派生し、唄い方の探求を重ねてきたうた沢は、繊細な節回しを重視する唄本位の芸とされています。唄も三味線も上品で抑制的であり、端唄と比較してゆったりとしたテンポで演奏されます。中でも寅派(歌沢)は渋く、芝派(哥沢)は派手な芸風を持つとされています。
うた沢は高尚趣味として江戸庶民や花柳界で愛されました。
小唄の誕生
安政2年(=1855年)清元節二代目家元 清元延寿太夫の娘、清元お葉が小唄『散るは浮き』を制作し、小唄というジャンルが確立されます。別記事で詳しく解説していますので、こちらをご参照ください。
補足として、清元お葉がこの曲を作成する前から清元節の新曲に端唄を挿入する傾向があったようです。さらに清元節関係者は粋で早間(=音と音の感覚が短いこと)な清元節の芸風をそのままに端唄を作成したようです。
柔軟な創作が許される風潮があったため、清元お葉は小唄『散るは浮き』を制作できたのかもしれません。
小唄の音楽的特徴
小唄は粋で早間で軽妙洒脱な音楽あることを理想とします。そのためテンポが速い三味線の間に唄が挿入される三味線本位の芸とされています。
また大正時代頃までに撥を使用しない爪弾きという演奏手法が登場します。当時お座敷を中心に室内音楽として普及した小唄は撥を使用して大きな音を出す必要がなかったためそのような奏法が確立されたと考えられます
庶民から政財界の人物も虜にし、昭和にはゴルフ・碁と共に三ゴ時代を確立しました。
まとめ
端唄からうた沢と小唄が誕生した歴史や調査してみて、以前より違いが分かるようになりました。本に書いてあった「端唄という母体から小唄、うた沢という姉妹ができた」という言葉が腑に落ちる結果となりました。
歴史的背景によって形成された各ジャンルが持つ美的感覚、それが反映されてできる各ジャンルの特徴を意識して音源を聴くと以前より邦楽を楽しめるのでとてもおすすめです。
参考文献
・ 小唄 増補版(演劇出版社)
・江戸小唄 増補版(演劇出版社)
・江戸小唄の話(文川堂書房)
・月間邦楽情報誌 邦楽ジャーナル Vol.409,411,414,415(有限会社 邦楽ジャーナル)
・広辞苑 第六版
・三味線音楽史(株式会社創思社)
・随筆 小唄おぼえ書き(金澤書店)
・ブリタニカ国際百科事典小項目電子辞書版
・まるごと三味線の本(株式会社 青弓社)
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