小唄 後の月(歌詞は『昭和小唄 その三』より引用。)
作詞:英十三
作曲:初代 本木寿以
お互いに 苦労もしたし させもした 厭で別れた 仲じゃなし よりを戻した 二人が仲は 本木にまさる裏木なし 酸いも甘いも かみしめて たとえて云わば 後の月
好き合っていた二人が事情があって別れた後、よりを戻したというドラマチックな唄です。
この唄を学んだとき、「後の月とは十三夜のこと。十五夜よりも小さな月だけど美しい月であることから、寄りを戻した男女の関係性を唄っているのだよ。」と家元に教えていただきました。
伝統音楽を学んでいると、その歌詞からしばしば知らない言葉や風習を知ることになります。
この唄では慣用句が2つ使用され、後の月という月の別称が使えわれていることから、「きっと語彙力が高くて教養のある素敵な人が詞を書いたのだろう」と思い、調べてみました。
後の月とは
後の月=十三夜
・陰暦9月13日(=新暦10月下旬) の月のこと。
・陰暦8月15日(=新暦9月下旬~10月初旬)の十五夜の約一か月後にあたり、十五夜に対して後の月であるため「後の月」と呼ばれる。
・満月の2日前の月であるため少し欠けている。
・別称:女名月、姥名月、豆名月、栗名月、月の名残
後の月、すなわち十三夜は満月ではありません。一番大きな月ではなく、少し欠けた月を愛でる感性が日本人の美的感覚を表していて素敵だなと思いました。
また、十三夜と十五夜をまとめて「二夜の月」と呼び、どちらか一方だけ月見することを片月見(=片見月、形見月)といい、忌み嫌われたそうです。満月でなくとも十五夜に勝るとも劣らないくらい美しいとされ、人々に大事にされている十三夜を二人の関係に例える発想には脱帽です。
小唄『後の月』に登場する慣用句
小唄『後の月』には以下2つの慣用句が使用されています。
本木に勝る末木なし…幾回取り代えて見ても、結局、最初に関係のあった者よりすぐれた者はない(広辞苑) ※歌詞は引用のため、「本木に勝る裏木なし」と表記しましたが、慣用句としての正しい表記は「本木に勝る末木なし」です。 酸いも甘いも嚙み分ける…人生経験を積み、人情や世情によく通じている。(明鏡 ことわざ成句使い方辞典)
お恥ずかしながら上記2つの慣用句を知らなかったため、この言葉の意味を知ったとき「なんと大人な慣用句なのだろう」と感心しました。パートナーを変えないと本木の良さはわかりませんし、酸いも甘いも嚙み分けるには人生経験が必須になります。
それらを経験し、よりを戻すなんてとても素敵な関係ですね。
そしてこの慣用句には作詞者の遊び心が含まれています。
「本木に勝る末木なし」の言葉と作曲者である初代本木寿以の名前とかけているのです。
スマートに作曲者をたたえているような素敵な表現ですね。
作詞者 英十三
こんな素敵な詞を書いたのは誰なのだろうとわくわくしながら調査にかかりました。そして作詞者が英十三先生であることを知り、納得ました。
英十三は実業家として忙しく活躍される中で小唄を嗜み、一流の小唄研究家と言われるまでになった方です。
英十三と里見弴
英十三、(本名 田中治之介)は田中銀行頭取で大地主でもある田中武兵衛の次男として生まれた彼は幼い頃より文学好きな少年でした。
学習院初等科に進学し、三年生の頃編入してきた里見弴と親友になりました。里見弴は後に大正初期文壇の基軸となる白樺派の中心人物となります。
彼との友情は長く続き、高等科のころには里見弴、他4名の同級生と共に回覧雑誌「麦」を発行したり、里見弴の誘いにより同人誌「白樺」の同人となり作品も投稿しました。ただし英十三は小説よりも批評や鑑賞の才能に長けていたため、「白樺」に多くの作品を投稿することはありませんでした。東京帝大法科を卒業し、社会人となっても里見弴との友情は続き、一緒に過ごしたり経済的に支援をしていたりしたようです。
英十三の著作
また小唄関連著書としては『江戸小唄の話』(文川堂書房)を出版し、江戸・明治期の小唄60曲の評釈や小唄の沿革、特色、隆盛と将来を記述しました。この著書で「江戸小唄」という小唄をより細分化した枠組みを提唱し、後の研究にも影響を与えます。木村菊太郎は「正に江戸小唄に一つの統一的解釈を与えたもの」としてこの功績をたたえています。
その他にも邦楽之友、東京新聞、江戸小唄新聞にも小唄講座、小唄に関する随筆や研究を連載し、数多くの記事を世に発表しました。
文才がある里見と価値観を共にし、友情を築いたことや、本人の執筆活動の実績からして英十三の文才は疑いようのないものと言えます。財力、鑑賞力にも恵まれた英十三は小唄「後の月」の他にも多くの名曲を残しました。それらもいずれこの探求簿でご紹介できたらと思っております。
まとめ
知らない言葉をたくさん使用している唄を探求したら、素敵な慣用句と敬愛する先人にたどり着きました。唄を通して言葉や歴史、文化を知ることは探求の醍醐味であると私は思っております。
探求を継続し、いつか私が創作する日が来たら、身に着けた知識を活かして素敵なものを作りたいです。
参考文献
・江戸小唄の話(文川堂書房)
・広辞苑 第六版(岩波書店)
・ 小唄鑑賞 増補版(演劇出版社)
・昭和小唄 その一(演劇出版社)
・昭和小唄 その三(演劇出版社)
・月の名前(株式会社デコ)
・日本史辞典 三訂版(旺文社)
・日本の七十二候を楽しむ 旧暦のある暮らし(東邦出版株式会社)
・明鏡 ことわざ成句使い方辞典(大修館書店)
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