【文化探求】岡崎と五万石

岡崎五万石(歌詞は五万石保存会発行CD歌詞カードより引用)
作詞作曲:不詳

五万石でも岡崎さまは アーヨイコノシャンセ
お城下まで舟がつく ションガイナ
アーヤレコノ 舟がつく
お城下まで舟がつく ションガイナ
アーヨイヨーイヨイコノシャンセ
マダマダハヤソー

矢作上ればお城が見ゆるアーヨイコノシャンセ
葦の葉越しの松の間に ションガイナ
アーヤレコノ 松の間に
葦の葉越しの松の間に ションガイナ
アーヨイヨーイヨイコノシャンセ
マダマダハヤソー

めでためでたの岡崎さまは アーヨイコノシャンセ
枝も栄えて葉も茂る ションガイナ
アーヤレコノ 葉も茂る
枝も栄えて葉も茂る オメデタヤ
アーヨイヨーイヨイコノシャンセ
マダマダハヤソー

大河ドラマ「どうする家康」の放送により、岡崎が注目されるようになりとても嬉しい心持です。岡崎は私が所属する小唄小六派の本拠地であり、岡崎五万石の舞台となっている場所です。そして岡崎五万石は小六派2代目家元小六房とも繋がりがある大切な唄なので、本記事では岡崎五万石とその唄の舞台である岡崎との関係、そして小六房について記述していきたいと思います。

岡崎五万石とは

岡崎五万石は歌詞のとおり岡崎を誇った唄です。音楽の分類としては木遣りを母体とした民謡ともお座敷唄とも言われています。
陸路は東海道、海路は矢作川がある岡崎は江戸時代には交通の要所となっていました。さらに代々譜代大名が岡崎城の城主となっていたため、禄高はわずか五万石でも引け目に感じていなかったようです。

こんなにも岡崎のことを誇っているのに、実は研究によって古くから地元で唄い継がれているという形跡はないことが判明しています。しかし戦後になってからこの唄は地元の保護を受け、小六派はもちろん、五万石保存会、五万石伝承会など様々な団体や愛好家によって唄い継がれてきました。

そして岡崎五万石のレコードやCDを発行され、岡崎五万石は保護されてきました。

龍城神社

龍城神社直属文化団体 五万石保存会が発行した岡崎五万石のレコードとCD

写真のCDとレコードは龍城神社直属文化団体 五万石保存会が発行したものです。龍城神社とは岡崎城本丸に鎮座する神社です。

龍城神社の歴史は古く、三河の守護代西郷弾正ェ門稠頼が岡崎城と同じ場所に城を築城した頃に遡ります。
ある日本丸に柳の五ッ衣に紅の袴をつけた気高い乙女が現れます。彼女は龍神と名乗り、自身を鎮守の神と祀るのなら城を守護し繁栄と不易を約束すると言いました。そのとき城内の井戸から水が天高く吹き上がって龍神に注ぎ、黒雲が天守を包みこむと龍神の姿は消えたといいます。この出来事を受け、城主は天守楼上に竜神を祀り、城の名前を龍ヶ城、井戸の名前を龍の井としたそうです。

さらに龍の伝説は家康公とも関連があります。家康が竹千代として岡崎城で誕生した日、英雄児の誕生を待つように城楼の上に雲を呼び風を招く金鱗の龍を見たという逸話が龍城神社の社記に残っています。

現在龍城神社は家康公や本多忠勝朝臣などの護国英霊と天神地祇(天と地にいらっしゃる全ての神々)を祀る神社となっています。
そんな家康公とも縁が深い龍城神社が地元の伝統音楽である岡崎五万石を保護してくださる体制はとても素晴らしくありがたいものだと思います。

名取襲名の折、龍城神社でご祈祷をしていただきました。

天井には龍の彫刻があり、ご祈祷の最後に龍の咆哮を聴ける演出がありました。 手水舎や御神燈など様々な場所で葵の御紋が見られます。

岡崎五万石大会

家康公ゆかりの龍城神社に保護され、戦後は地元でも愛され、さらには岡崎五万石大会というコンテストまで開催されるようになりました。※現在は開催されておりません。

この大会は一般の部と子供の部の2部から成り、出場者は全員岡崎五万石を唄います。子供の部は出場者全員にメダルが贈られます。一方で一般の部は最優秀賞、優秀賞、努力賞があり、最優秀賞は副賞がつきます。初回大会の優勝者は私の兄弟子に当たる人でしたが、なんと副賞で車を貰ったと聞いています。

母が保管していた第7回岡崎五万石大会のパンフレットです。

2日に渡って予選と本選を行う大きな大会だったようです。現在この大会は開催されていませんが、優秀賞の多さから当時多くの地元企業がこの大会を応援していたことが伺えます。出場者名簿には出場者の住所まで表記されていて、初めて見たときは驚きました。

一般の部は出場者に優劣がつけられるシビアな大会となっております。そのためこの大会においてどのような唄い方を優れていると規定するか基準が必要になります。そこで大会の運営側は小六派2代目家元小六房が唄う岡崎五万石を模範演奏としました。

小六房の五万石

小六房の岡崎五万石は高い評価を得ていたようです。先述の龍城神社直属文化団体 五万石保存会が発行したCD、さらには日本コロムビアが発行したレコードにて岡崎五万石の歌唱を担当したのも彼女でした。

私が所属する小唄小六派の2代目家元でもある彼女についてまとめてみました。

本名 澤田房子(沢田の記述もあり)
愛知県豊田市出身
岡崎で芸妓として身を立てる
西暦できごと
192411月30日 誕生
1949小六満佐( 当時春日とよ小六) に入門
1960名取名取得
1963師範代襲名
1987初代家元小六満佐より家元を譲り受ける

私に三味線のいろはを教えてくださった房先生。3歳から小学生頃までは岡崎城の前を通り、彼女のお稽古場に通っていました。

会いに行けばいつも柔らかい笑顔で迎えてくれて、私を叱ることがなかったため「房先生はこの子に甘すぎなのでは?」といつも祖母が言っていました。

私にとって房先生は3人目のおばあちゃんのようなあたたかい方でした。

まとめ

大河ドラマにより、家康公や龍城神社が注目をあびるかと思うととても嬉しい気持ちになります。岡崎五万石もドラマで唄われることがあるのかもしれませんね。

地元の名所や家康公の功績と共に岡崎五万石も話題になるといいなと思います。

参考HP・文献

小唄小六派HP
龍城神社HP
・昭和小唄 その三(演劇出版社)
・邦楽百科事典 雅楽から民謡まで(株式会社 音楽之友社)
・日本民謡大鑑 上巻(西田書店)
・日本民謡舞踊銘鑑(日本伝承芸能文化振興会)
・日本民謡辞典(株式会社 全音楽譜出版社)

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