【作品探求】古謡 さくらさくら

○文部省管轄音楽取調掛編『箏曲集』より
桜さくら 弥生の空は 見渡すかぎり
霞か雲か においぞいづる
いざやいざや 見にゆかん

○文部省編『うたのほん 下』より
さくらさくら 野山も里も 見わたすかぎり
かすみか雲か 朝日ににほふ
さくらさくら 花ざかり

誰もが知っていて、海外での知名度も高い古謡さくらさくら。「そういえばいつから演奏されているのだろう」という疑問から歴史を調査してみましたが、過去から現在に至るまで音楽に大きな影響を与えていたことがわかりました。

音楽取調掛と『箏曲集』の誕生

さくらさくらが初めて収載されたのは1888年(明治21年)に発行された『箏曲集』という本でした。

この本は日本初の官立音楽研究機関、音楽取調掛とりしらべがかりから発行されました。

○音楽取調掛
・1879年(明治12年)創設
・目的 音楽指導者の募集と教育、教科書の編纂→学校で音楽教育を行うため

※この機関が設立された当初、まだ日本では学校教育に音楽(唱歌)はなかった。

設立して間もない音楽取調掛は今後の日本の学校教育での音楽の授業内容を検討するために情報収集を始めました。そして一般の人々が愛好していた三味線音楽や箏曲を調査研究してそのよい部分を「国学創生」に役立てようと思ったのです。

その結果完成したのが箏曲集』でした。手ほどき曲が中心となった入門書で、日本で初めての箏曲の五線譜集です。

元々盲人の音楽であった箏曲は譜面がありませんでした。(備忘録のようなものはありましたが、流派によって表記方法が違ったようです。)

邦楽曲を西洋式の五線譜に書きなおしたことによって箏曲が急激に近代化するきっかけとなりました。

国立国会図書館デジタルコレクションより

箏曲集の櫻、元となった咲た桜

現在のさくらさくらは『箏曲集』では櫻と表記され、さいた桜の替え歌であることが明記されています。

国立国会図書館デジタルコレクションより

音楽取調掛は俗曲(=一般の人々が愛好していた三味線音楽や箏曲)を改良し、学校教育にふさわしい歌詞に置き換える作業を行ってから箏曲集を出版しました。

歌詞改変の例

岡崎女郎衆という曲は姫松という曲に変わり、箏曲集に掲載されました。

このように咲た桜から櫻に変わるときに歌詞が変わった可能性もありますが、咲た桜についての文献は発見されていません。

歌詞の改変

1941年、文部省より刊行された『うたのほん 下』にてさくらさくらは学校教育の教科書として登場します。

このとき歌詞がより現代的な言葉遣いに変わりました。(上記歌詞参照)

私は「弥生の空は」で覚えていたのですが、「野山も里も」と歌う方もいらっしゃって不思議に思っていましたが、両方正解だったのです。

戦争とさくらさくら

しかし『うたのほん 下』が刊行された同年の12月7日、日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争へと突入します。

戦後、わずか一カ月後の1945年(昭和20)9月に教育現場に敗戦の影響が現れます。新日本建設ノ教育指針の発表、終戰ニ伴フ教科用図書取扱方ニ關スル件の通達、この2つの趣旨に沿って教育現場では教科書に掲載されていた戦時色の強い教材を墨塗する指導が行われました。(正確には除外対象の曲の上に白紙を貼るなど、墨塗以外の方法でも除外対象の曲が見えないようになればOKだったようです。)

『うたのほん 下』では君が代、兵たいさんなど8曲が除外対象となりましたが、さくらさくらはその難を逃れました。

暫定教科書版の登場

墨塗の指導が行われた約9カ月間の1946年6月、各学年の生徒の元に新たな教科書が届きました。

教科書といっても両面印刷された紙が製本前の状態で配布されたのです。教師の指導でこれを折って綴じ、手作り製本によって暫定教科書は完成しました。

墨塗にされた『うたのほん 下』も『うたのほん 下 暫定教科書版』になりました。内容としてはたなばたさまと雪の2曲が追加され、さくらさくらは引き続き掲載されました。

一方手作り製本のため音楽の教科書は全学年32ページの構成となったためか、他の学年の教科書では黒塗を免れた曲の一部も姿を消しました。その多くは皇国史観が濃厚な曲でした。

さくらさくらは風光明媚な曲だったため、戦争の影響を受けずに済んだのかもしれません。

この教科書は1947年5~7月にかけて新たな音楽の教材が出版されるまで教育現場で使用されました。

さくらさくら派生作品

世に広く浸透したさくらさくらは、様々な音楽に影響を与えました。その一例を挙げたいと思います。

オペラ 蝶々夫人 [プッチーニ]

プッチーニの代表作の1つにして、ジャポニズムの影響を受けたオペラです。

○蝶々夫人 あらすじ
アメリカ海軍軍人ピンカートンに一目ぼれした蝶々さんはキリスト教に改宗して彼と結婚する。
しかしそれは仮初の結婚で、ほどなくして母国へ帰ったピンカートンはケイトと結婚する。
3年後にピンカートンはケイトと共に来日する。ケイトの姿に全てを悟った蝶々さんは父の形見である短刀で自害する。

さくらさくらは第一幕で蝶々さんが自分の持ち物をピンカートンに見せる場面で流れます。

後に自害に使用することになる短刀がこの場面で初めて登場するため、伏線としてとても大切な場面と思われます。

プッチーニは日本の旋律をそのまま使用せず、ライトモティーフ(=劇中の物事や想念を暗示するために演奏される音楽)としたりその場面の雰囲気に合わせて変化させて使用しました。さくらさくらの他にも君が代、お江戸日本橋、推量節、かっぽれ、宮さん宮さんなど日本の旋律が組み込まれています。

新箏曲 さくら変奏曲 [宮城道雄]

宮城道雄が制作した新箏曲です。洋楽の変奏曲の形式を学び、その形式を箏曲に取り入れた習作にして彼の代表作です。この曲はさくらさくらのメロディーをベースにした8つの変奏から成り、後の変奏曲作品の根幹となります。

横笛独奏 さくらに寄す [鯉沼廣行]

国内外での演奏、大河ドラマでの横笛指導などのキャリアを持つ横笛奏者 鯉沼廣行の曲です。さくらさくらを幻想曲風に編曲し、散りゆく桜の風情を篠笛一本で表現しています。篠笛独特のかっこよさが引き立つ一曲です。

オリエンタルサウンド 春花想 [竜馬四重奏]

ヴァイオリン、津軽三味線、鼓、篠笛の四重奏ユニット、竜馬四重奏の曲です。国内外からの支持も厚く、個の力もある現役のユニットが手掛けるこの曲は、さくらさくらのメロディーが曲中に折り込まれた幻想的で優しい曲です。

上記の作品は一例にすぎません。このようにさくらさくらは様々な作品の音楽に影響を与えました。

まとめ

私も手ほどきの曲としてさくらさくらをお教えした経験がありますが、さくらさくらがこのような歴史をたどっていたとは知りませんでした。そして後世の創作に与えた影響が思っていたよりも大きく、海外のオペラまでに波及しているとは思いませんでした。

今度手ほどきとしてこの曲をお教えするときは、この曲の歴史や派生作についてもお伝えしたいなと思っております。

参考HP・文献

・鯉沼廣行 Official Site
・竜馬四重奏 OFFICIAL WEB SITE
・国立国会図書館デジタルコレクション
・オペラ辞典(株式会社 音楽之友社)
・広辞苑 第六版(岩波書店)
・箏と箏曲を知る辞典(株式会社 東京堂出版)
・16人16曲でわかる オペラの歴史(株式会社 平凡社)
・唱歌大辞典(株式会社 東京堂出版)
・DVD決定版 オペラ名作鑑賞vol.8 蝶々夫人(株式会社 世界文化社)
・童謡・唱歌でたどる音楽教科書のあゆみ 明治・大正・昭和中期 普及版(和泉書院)
・日本音楽がわかる本(株式会社 音楽之友社)
・邦楽百科事典 雅楽から民謡まで(株式会社 音楽之友社)
・歴史からでも楽しい! おもしろ日本音楽(株式会社 東京堂出版)

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