歌詞は「小唄新集 増補改訂」(柏屋出版部) より引用
1939年(昭和14年) 6月 制作
作詞 久保田万太郎
作曲 田村法一
あじさいの 彼の浅黄色 彼の人の 紺の明石の雨がすり その時かけていた えりの色 えゝえゝえ しょんがえ
あじさいの花の色に見覚えがあると感じた男性、そうだこの色はあのとき彼女がかけていた半衿の色と同じなのだと気づく季節の小唄です。
梅雨の気配と可愛らしい恋心を宿したこの一曲。作詞、作曲においても一切余分なものがなく、まさに軽妙洒脱な曲です。
今回はこの曲に隠された季節感と作詞作曲者について記述します。
歌詞解説~彼の人の服装~
〽紺の明石の雨がすり という歌詞がありますが、私は「明石」と「雨がすり」という言葉にひっかかりました。そこでこの言葉を調べてみました。
明石…明石縮という和服用絹織物の一種。制作の際に緯糸を強く捻るのが特徴。織物の感触がさらりとし、清涼感を伝える。女性用の高級夏物生地で、京都府の西陣や新潟の十日町で生産された。 雨絣…別称 雨縞。経糸だけに絣糸を使用し、経糸の足をずらして織ることで不規則に直線が現れる。その直線が雨が降っているように見える。
「明石」という夏の着物で季節感を演出し、「雨かすり」で雨というワードを織り交ぜ、服装を具体的にしつつも梅雨の気配を感じさせていたのです。
この一節だけで作詞者の狙いがたくさん込められていることがわかり、とても驚きました。では作詞者とはいったいどのような人物だったのでしょうか。
作詞者 久保田万太郎
1889年 東京生まれ 小説家、劇作家、俳人 慶応義塾大学部文学科 卒業 代表作 小説『末枯』『春泥』『三の酉』、戯曲『大寺学校』、句集『道芝』、俳句『竹馬や いろはにほへと ちりぢりに』など 下町に生きる人々の心情を描いた作風
久保田万太郎は慶応義塾大学在学中より、機関紙「三田文学」にて小説『朝顔』、戯曲『道戯』を発表し脚光を浴びます。彼が在学していた時代の文学部には講師として森鴎外、上田敏、永井荷風、在学生として佐藤春夫が所属していたため文学を極めるにはうってつけの環境だったのかもしれません。
卒業後、彼は慶応義塾大学 講師、中央放送局 演劇課長兼音楽課長、築地座(新劇) 顧問などの職業や、慶応義塾評議員、文部省文化財保護専門審議会委員、ユネスコ国内委員などの役職を経験し、晩年には文化勲章を受章します。
久保田万太郎と小唄
そんな久保田万太郎が50歳のときに制作したのが、この小唄『あじさいの』の詞です。正確には小唄田村流 初代家元 田村てるの直門に当たる内田誠という人物の依頼によって久保田万太郎が作詞しました。
実は小唄田村流が久保田万太郎とコラボするのはこの曲が2作目となります。1作目は内田誠が久保田万太郎に作詞を依頼し、初代 田村てるが作曲した、小唄『裏見せて』という曲になります。こちらも素晴らしい曲なので、いつかご紹介できればと思います。
その他にも久保田万太郎は箏曲や小唄の作詞をしています。小唄では春日とよ、山田抄太郎とコラボし、素敵な作品を後世に残しました。
小六月追記メモ~浅草風土記~
浅草で育った久保田万太郎は『浅草風土記』という浅草の記録を残しています。そこには甘味専門店梅園など今でも浅草にある名店などが紹介されています。浅草を訪れる機会がある方は是非一度読んでみてください。
作曲 田村法一
1911年 東京生まれ またの名を初代 清元一寿郎(四世清元栄寿太夫の内弟子で、名前の意味は「一番の内弟子」) 新野栄次郎の次男で、長男、三男、五男、姉も清元に属す(長男:清元寿国太夫=小唄吉村派家元 吉村勇) 妻 小唄田村派 二代目家元 田村小てる(後の二世 田村てる) 新橋見番で清元を教える 妻から小唄を教えてもらい、二、三回程度の稽古で覚える 数カ月のうちに古典小唄300曲以上を清元譜で書き上げる
作曲者 田村法一は寡黙な清元のお師匠さんで、芸事に対しても厳しかったため、怖いお師匠さんという印象を持たれていました。しかし、地道にこつこつ稽古を積む努力型でいたこと、兄であり吉村派の家元である吉村勇とは小唄語りで夜を徹していたことから、芸に真摯なゆえの厳しさであったことは間違いありません。清元の実力も確かなもので、日本橋クラブで清元『椀久』の立三味線(=ソロパートを担当したりする三味線を演奏する人のリーダー)を担当した際は、撥さばきに聴衆が感動したといった記録も残っています。
妻である二世 田村てるより小唄を習い、譜面を書き上げるなどの功績を残しますが、第二次世界大戦にて戦死してしまいます。
小六月追記メモ~田村法一による『あじさいの』~
田村法一が吹き込んだ小唄『あじさいの』を聴いた木村菊太郎(小唄研究家)の感想が残っていたため、ここに記します。
〽あじさいの…の出から〽紺の明石の雨絣…まで高い調子でその美しい女の横顔を唄い上げ、 〽その時…から碎け、 〽ええエエエしょんがえ…と、これまでにないしょんがえにしようと努力している。
『昭和小唄 その二』(演劇出版社より)
まとめ
小唄『あじさいの』は実力のある作詞作曲者の手によってできた小唄でした。
このような季節の唄はお稽古しているときにも季節を感じられてわくわくします。このような素敵な唄をたくさんの場所で唄って、皆様にご紹介できたらと思います。
参考HP・文献
・きもの用語大典
・小唄田村流HP
・浅草風土記(中央公論新社)
・久保田万太郎の履歴書(株式会社河出書房新社)
・久保田万太郎俳句集(岩波書店)
・小唄新集 増補改訂(柏屋出版部)
・昭和小唄 その一(演劇出版社)
・昭和小唄 その二(演劇出版社)
・ブリタニカ国際百科事典小項目電子辞書版
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