両床とは昭和後期にできた小唄独特の舞台セットです。舞台の上に小さな床(奏者が演奏する場所)を二つ作るこのセットの使い方、そして誕生背景とメリットデメリットに迫ります。
両床の使い方
そもそも両床とはどのように使用する舞台セットなのかという疑問を持たれる方もいらっしゃるかと思うので、最初にご説明いたします。
① それぞれの床に1組ずつ奏者がスタンバイする。
② どちらか一方の緞帳が上がり、演奏が始まる。
③ 演奏が終わると反対の床でスタンバイしていた組の演奏が始まる。
④ 終演した組が床から降りて、次に演奏する組が床に入る。
⑤ ③と④を繰り返す。
この舞台装置を利用すると演奏者が入れ替わる時間を節約できるようになります。片方の床で演奏が終わったら、すぐに反対の床で演奏を始めることができるのです。
逆に両床を利用しない場合、
① スタンバイする
② 緞帳が上がり、演奏を始める
③ 演奏が終わり、緞帳が下がる
④ 演奏者が床から降りて、次の演奏者が床に上がる
といった手順を取りますが、④の間はお客様を待たせてしまうことになります。
小唄は1~3分程度の短い曲が多く、舞台では1組2題唄うのがスタンダードな形式となっております。つまり演奏時間が6分以下で、その後毎回奏者の交代のために待つ時間が発生するのです。 両床を利用すれば演奏者の交代時間の節約ができるため、舞台の進行もスムーズになるのです。
両床誕生の背景
ではなぜこのような独特のセットが誕生したのか。それは昭和後期の小唄の歴史と深く関連しています。
小唄の黄金期到来
昭和29年頃より小唄、ゴルフ、碁が紳士の身だしなみとされた「三ゴ時代」が到来します。テレビやラジオでの小唄の番組の放送開始、小唄関連出版物の増加、小唄のレコードリリースなど日常のいろいろな場面で小唄が垣間見れるようになります。
そして昭和35年と36年に小唄人である春日とよと蓼胡伊久の紫綬褒章受章、第一回東京都芸術祭に小唄の参加が認められるなどの出来事によって小唄の芸術的価値が証明され、小唄界は黄金期を迎えました。家元は100名を超え、小唄人口は100万にも及んでいたようです。
演奏様式の変更
一方でもともとお座敷の音楽であった小唄は、昭和になると大きな会場で唄われるようになります。マイクを通して唄い手の声と三味線の音を拾い上げ、大きな会場で唄う会場小唄が確立されました。
黄金期の演奏会での問題
黄金期の演奏会は1日100組以上の出演があるものもあったそうです。出演者の数は入れ替わりの回数と比例するので、両床の特性である演奏者が入れ替わる時間を節約できるという点は絶大な効果があったことがわかります。
両床のデメリット
一方で両床には以下のようなデメリットもあります。
・観にくい席が出てしまう ・大道具の費用がかかる
観にくい席が出てしまう
例えば上の図のような場合、下手(客席から見て左側)の組の演奏は観やすいですが、上手(客席から見て右側)の組の演奏はセットによって死角が生じるため観にくくなってしまいます。すべての演奏を演奏者の正面で聴くことはまず不可能になってしまうのです。
大道具の費用がかかる
当然の話ですが、両床も大道具のため費用がかかってしまいます。具体的な金額は調べることができませんでした。しかし金銭的問題が原因の一つとなり、私が出演していた舞台でも両床が廃止になってしまいました。
まとめ
両床は全ての出演者に舞台を踏んでもらえてお客様も待たせないという優しさやまごころから生まれたセットだと思います。また個人的には両床があると、小唄専用の舞台であるという特別感を感じられてとても好きです。
しかし、今の時代に合うものかと問われるとそうではないのかもしれません。現に費用などの諸問題で名古屋の舞台から姿を消すこととなってしまいましたし、このセットが見られる機会も減ってくると思われます。
そのためこの記事によって、両床という素敵なセットがあることを少しでも多くの方に知っていただけたら嬉しいです。
参考文献
・昭和小唄 その二(演劇出版社)
・昭和小唄 その三(演劇出版社)
・月間邦楽情報誌 邦楽ジャーナル Vol.411(有限会社 邦楽ジャーナル)
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