小唄 寄りかかりし (歌詞は『小唄解説』より引用。)
作詞:田村成義
よりかかりし 床柱 三味線とって 爪びきの 仇な文句の 一とふしも すぎしむかしを 忍び駒
作者は「大田村」「田村将軍」とも呼ばれた田村成義は明治・大正期に活躍した劇場経営者です。田村派の始祖、田村てるの後援者であり「田村」という流派の名の主でもあります。
私が所属する小六派の始祖、小六満佐は田村派に在籍していた期間があったため、この発見には胸が躍りました。
田村将軍は本物の将軍ではありませんが、劇場経営者としての功績は将軍の名にふさわしい華々しいものでした。千歳座(現在の明治座)および市村座の劇場経営、さらには歌舞伎座の相談役として活躍し、歌舞伎界に大きく貢献しました。
そんな彼の創作とこの曲が生み出す風情について探求しました。
書物書物で見る 寄りかかりし
大正から昭和期の書物7点からこの曲の歌詞を見つけることができました。以前、小唄 上汐の探求を行った際よりも多くの書物でこの曲の歌詞を見つけることとなりました。「書物で見る上汐人気」という見出しを付けたので少し恥ずかしいです。
創作年代が古い小唄は流派や書物によって接続詞が変わる印象を受けますが、この唄も「一節も」「一節に」といったように2つのパターンを発見しました。
しかしこれほど多くの書物に歌詞が表記されているにも関わらず、作者を明確に記したものは1冊たったのみでした。田村将軍は江戸小唄を愛好していたようですが、他の創作についても表記が少なく不明確な表現が多く見受けられました。
劇場経営者としての功績が真っ先に記録されるためか、田村将軍の小唄創作はあまり明確に記録されていないようです。
寄りかかりしの世界観
まず私がこの唄の世界観を理解するうえで躓いたのは「床柱」という言葉でした。
床柱…床の間の脇の化粧柱
広辞苑 第六版より
こちらの柱を床柱というのですね。
床柱にもたれ掛かって静かに爪弾きでひとり言のように小唄を唄い、昔を偲ぶ静かで美しい世界観です。さらに音を小さくする効果がある「忍び駒」と「偲ぶ」という言葉をかける技巧も駆使されています。
文才たちの評価
花柳演芸に精通した記者であり作家の平山蘆江は自身の著書でこの曲について以下のように述べています。
つれづれなるままに床柱へよりかかって三味線を抱き、ひくともなしにひく爪びきの風情、田村将軍自身のおもかげが彷彿としてしのばれる。
『小唄解説』より
また小唄に関連する書き物を多く残した土屋健は、この唄で独自の解釈を残しています。
赤穂浪士の由良之助が祇園で遊んでる最中に自己嫌悪と哀愁を感じ、座敷をそっと抜け出してこの唄の場面に移行するという解釈です。
しんとしたはなれ座敷へきてみると、そこには人つ氣もなく、置き忘れたように一丁の三味線がある。放心したように由良之助君は、たつた一人床柱にもたれて、三味線をいじっているうちに、ふと遠い昔を想いだす。音を忍ばせて彈くともなく彈く三味線につれて、ひとりごとのような小唄の文句がだん〱と節になつてくる。
『随筆 小唄おぼえ書』より
あなたの解釈で唄う『寄りかかりし』
もちろん、由良之助君でなくて、あなたご自身をこの境地におき替えて、ゆつくりとひとりごとのように唄つてもいいわけです。
『随筆 小唄おぼえ書』より
上記の引用文は、土屋健が由良之助の解釈を述べた後に続けた文書です。
土屋健はこの唄を小唄の「ほんとうの境地」ではないかと述べています。舞台で大勢の人に聴いてもらう小唄もいいものかもしれませんが、感傷に浸りながらただ自分のためだけに爪弾く小唄も素敵ですね。
人それぞれの「昔」を思い浮かべながら演奏したのなら、この曲の解釈は十人十色です。また、創作活動においてもこの曲は脚本に盛り込みやすいのではないかと思われます。
是非この曲にあなたの解釈を盛り込んで、あなたのものにしてみてください。
参考文献
・春日小唄集(財団法人 春日会)
・広辞苑 第六版
・小唄解説(柏屋出版部)
・小唄鑑賞 増補版(演劇出版社)
・小唄稽古本 都の華(法木出版)
・小唄集(詳細不明)
・随筆 小唄おぼえ書き(金澤書店)
コメント