【作品探求】民謡 設楽さんさ ~歴史編~

歌詞は「中部・三河路の民謡」(日本コロムビア) 歌詞カードより引用
作詞作曲:不詳

さんさ押せ押せ 下関までも
押せば港へ さんさ近くなる
サンサ近クナル
押せば港へ さんさ近くなる

段戸山越え また山越えて
逢いに来た殿 さんさ帰さりょか
サンサ帰サリョカ
逢いに来た殿 さんさ帰さりょか

山で木を切る 音懐かしや
ととが炭焼く さんさ音じゃもの
サンサ音ジャモノ
ととが炭焼く さんさ音じゃもの

踊りましょぞえ 未だ夜は夜中
明けりゃ坊さま さんさ鐘をつく
サンサ鐘ヲツク
明けりゃ坊さま さんさ鐘をつく

愛知県の東北部に位置する山間部、奥三河の北設楽郡に伝わる唄です。元は山仕事や盆踊りのときに唄われていた唄で、昭和期にレコードとして世に発表されました。今は亡き師匠、小六房もこの唄をレコードに吹き込んでいます。

師匠のレコードを見て「設楽さんさってどんな曲だろう。」と思い、調査してみました。
すると、北設楽郡が民謡の宝庫であったことと、レコードが民謡にもたらした影響が見えてきました。

本編に入る前に一つ注釈を入れさせていただきます。
この記事での「奥三河」と「北設楽郡」は以下のとおりに定義します。

そして、この記事では設楽さんさの歴史を解説します。
設楽さんさの歌詞の考察については以下の記事をご覧ください。

念仏踊りとして伝わる

この唄の原型である「さんさ」を広めたのは光国和尚と言われています。武田信武の四男であった光国和尚(光国舜玉)は伊豆の下田から東栄町にやってきて、長養院の住職になりました。その際に布教のため念仏踊りを伝えたとされています。その念仏踊りの一つに「設楽さんさ」の原型となった「さんさ」がありました。

また、「おさま甚句」という曲も念仏踊りとして伝えられていますが、そちらはまたの機会に調査できればと思います。

山仕事の唄、盆唄となる

レコードとして世に出される前、「さんさ」は山仕事や盆踊りのときに唄われていました。

山仕事の唄として

1992年時点での奥三河は面積の9割が森林で覆われ、複数の自然公園を有する奥三河は高度経済成長期までは林業が盛んでした。そして「さんさ」は北設楽郡一帯で山仕事をするときに労働歌として歌われていました。

盆唄として

北設楽郡東栄町と富山村ではこの曲で盆踊りをしていたという記録が残っています。中でも東栄町の盆踊りは単純な輪踊りで優雅な振り付けがついていたと資料に表記されています。

全国の俚謡、民謡では「さんさ」や「さのさ」といった共通の言葉が確認されています。しかしこれらの言葉が有する意味は完全な定義をされていません。

一方で設楽さんさでの「さんさ」は「さっさと俊敏に唄い踊る」「さあさ」という意味を持つのではないかと言われています。この曲に合わせて優雅に、そして俊敏に踊られていた歴史を持つのなら納得できます。

レコードでの設楽さんさ

地元で大切に唄われてきたこの唄に転機が訪れました。藤井知昭によって北設楽郡一帯の民謡が学術的に採取されたのです。

そして昭和20年代後半 民踊家 島田豊年が東栄町でこの唄を知り、初代鈴木正夫のレコードで世に紹介され、その際に「設楽さんさ」というタイトルが初めてつけられました。

(教育委員会が発行した調査報告書の富山村の盆唄としての「設楽さんさ」は「さんさ」というタイトルでした。)

レコード化の光と影

レコードとしてリリースされるまではさんさは山仕事の唄または盆唄として、北設楽郡広域で様々な調で唄われていました。口承に口承を重ねると、唄は変化し、多様化していきます。すなわち、現在普及している設楽さんさとは別の節、別の歌詞のさんさが北設楽地方に存在していました。しかしレコード化にあたって東栄町の節を採用して「設楽さんさ」としてひとまとめにしたため、レコードリリース直後は「自分が知っているさんさとは違う。」「東栄町のさんさに”設楽”をつけるとは何事だ。こちらのさんさ(=北設楽地方で唄われていた別の節、別の歌詞のさんさ)も設楽の唄だ。」という不満の声があったそうです。

数年来盆踊りに招かれている津具村(現在は設楽町と合併)で、歌のパンフレットを見ていて、あれ?と思ったのは、「さんさ」の歌詞が「設楽さんさ」とと別物であったからである。訊ねてみたら、これが問題の「さんさ」で、ちゃんと存在していたのである。

『中部圏の民謡を訪ねて』服部 鋭夫

もしもレコード化しなければ、「設楽さんさ」即ち東栄町のさんさも、斜陽になっているもう一つの「さんさ」も後世に残らなかったかもしれません。その一方で「設楽さんさ」のレコード化によって忘れかけられているもう一つの「さんさ」があるということもしっかりお伝えしていきたいです。

まとめ

仕事唄や盆唄がレコードとしてリリースされたという歴史を持っていた設楽さんさですが、今回の調査は資料が見つけにくかったです。同じ愛知の民謡でもポピュラーな名古屋甚句や岡崎五万石とは資料の数が違いました。

調査が難しい情報ほど、正確なエビデンスに裏付けられた分かりやすい文書で多くの人が閲覧できる場所に残すことが大切だと思います。

そしてこの唄のように忘れかけられていて、調査だけでも難しい民謡は全国に星の数ほどあります。 せっかく誰かの想いから生まれて、誰かの気持ちに寄り添ってきた唄なのだから、なるべくたくさんの唄を記録に残したいと思いました。

参考文献

・キラッと奥三河観光ナビ
・日本民謡大鑑 上巻(西田書店)
・日本民謡民踊銘鑑(日本伝承芸能文化振興会)
・中部圏の民謡を訪ねて(服部 鋭夫)
・中部・三河路の民謡 歌詞カード(日本コロムビア)
・愛知民謡集 第一巻(蟹江尾八音楽事務所)
・愛知県百科事典(中日新聞本社)
・北設楽民族資料調査報告3(愛知県教育委員会)
・民俗芸能の宝庫 奥三河(新城南北設楽広域市長村圏協議会)

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